インドネシアと聞いて、真っ先にバドミントンを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。世界選手権やオリンピックで常に表彰台に上がるインドネシアは、まさにバドミントン大国です。しかし、なぜインドネシアではバドミントンがこれほどまでに普及し、国技と言われるほど愛されているのか、その具体的な背景を知る機会は少ないかもしれません。
実は、インドネシアにおいてバドミントンは単なるスポーツの枠を超え、国の誇りやアイデンティティと深く結びついています。歴史的な成り立ちから、驚きの育成システム、そして日常生活に溶け込んだ独自の文化まで、その理由は多岐にわたります。この記事では、インドネシアのバドミントンがなぜ国技なのか、その謎を詳しく解き明かしていきます。
インドネシアのバドミントンはなぜ国技なの?歴史と国民的背景

インドネシアでバドミントンが国技としての地位を確立した背景には、国の歴史的な歩みが大きく関わっています。まずは、どのようにしてこの競技が広まり、国民の心をつかんでいったのかを見ていきましょう。
オランダ植民地時代から始まった普及の歴史
インドネシアにバドミントンが持ち込まれたのは、1930年代のオランダ植民地時代までさかのぼります。当時は主にエリート層や学校教育の中で行われていましたが、その楽しさは瞬く間に庶民の間にも広がっていきました。
1945年の独立後、インドネシア政府は国民を一つにまとめるための手段としてスポーツに注目しました。その中でも、特別な設備を必要とせず、場所を選ばずに楽しめるバドミントンは、成長途中の国にとって最適な競技だったのです。
1951年にはインドネシアバドミントン協会(PBSI)が設立され、国を挙げて競技の振興に取り組む体制が整いました。こうした初期の段階からの組織的な普及活動が、現在の強固な基盤を作り上げたと言えます。
独立後の国家アイデンティティとしての役割
多民族国家であるインドネシアにとって、国民が心を一つにできる象徴が必要でした。バドミントンは、国際大会でインドネシアの名を世界に知らしめる絶好の舞台となり、国民の愛国心を刺激したのです。
1958年に男子国別対抗戦であるトマス杯で初優勝を飾った際、国民は自国の代表が強豪国を破る姿に熱狂しました。この勝利は、独立間もない国にとって、自分たちが世界に通用することを証明する大きな希望となりました。
スポーツを通じて得られる連帯感は、バドミントンを「ただの競技」から「国の誇り」へと昇華させました。現在でも、バドミントンの国際試合がある日は、街中が応援一色に染まるほどの影響力を持っています。
初のオリンピック金メダルがもたらした感動
インドネシアのバドミントン史において、最も重要な出来事の一つが1992年のバルセロナオリンピックです。この大会からバドミントンが正式競技となり、インドネシアはついに悲願の金メダルを獲得しました。
女子シングルスのスシ・スサンティ選手と男子シングルスのアラン・ブディクスマ選手が共に頂点に立ちました。この二人が当時恋人同士だったこともあり、インドネシア全土がこのロマンチックな快挙に沸き上がりました。
この瞬間に獲得した金メダルは、インドネシアがオリンピックの歴史で手にした初めての金メダルでもありました。この歴史的な出来事がきっかけとなり、バドミントンは名実ともにインドネシアの国技として不動の地位を築いたのです。
国民を鼓舞し続けた伝説のスター選手たち
インドネシアからは、時代ごとに世界を驚かせるスター選手が次々と誕生しています。1960年代から70年代にかけて全英オープンで8度の優勝を果たしたルディ・ハルトノ氏は、今でも伝説の英雄として語り継がれています。
その後も、タウフィック・ヒダヤット選手のような華やかなプレーで魅了する選手が現れ、常に国民の憧れの的であり続けました。子供たちは彼らのようになりたいと願い、ラケットを握るようになります。
憧れのヒーローが存在し続けることで、次世代のプレーヤーが絶え間なく育つ循環が生まれています。スター選手たちの活躍は、バドミントンが国民の関心を引き続ける最大の原動力と言っても過言ではありません。
世界を圧倒するインドネシア代表の強さと戦績

インドネシアがバドミントン大国と呼ばれる理由は、その圧倒的な数字にも表れています。主要な国際大会での戦績を見れば、なぜ彼らが世界の頂点に君臨し続けているのかが分かります。
団体戦での圧倒的な存在感と優勝回数
男子国別対抗戦の「トマス杯」において、インドネシアは歴代最多の優勝回数を誇ります。これは、個人の能力だけでなく、チーム全体の層がいかに厚いかを如実に示しています。
主要団体戦での主な実績:
・トマス杯(男子団体):優勝14回(歴代最多)
・ユーバー杯(女子団体):優勝3回
・スディルマン杯(混合団体):初代王者(1989年)
団体戦での強さは、国全体の底力の証です。選手たちは「国の代表として戦う」という強い使命感を持ち、チームのために全力を尽くす姿勢が伝統的に受け継がれています。
オリンピックでの驚異的なメダル獲得率
オリンピックにおけるインドネシアのメダル獲得数は、そのほとんどがバドミントンによるものです。1992年以降、ほぼすべての大会でバドミントン競技から金メダルを輩出しています。
2020年の東京オリンピックでも、女子ダブルスのグレイシア・ポリイ/アプリヤニ・ラハユ組が金メダルを獲得し、新たな歴史を刻みました。プレッシャーのかかる大舞台で結果を出す勝負強さは驚異的です。
オリンピックでの成功は、インドネシア国民にとって最大の関心事です。大会期間中はテレビ中継に釘付けになり、勝利の瞬間には国中でお祝いの歓声が上がるのが日常の光景となっています。
世界を魅了する独自のプレースタイル
インドネシア人選手のプレーには、独特の「華」があります。彼らのプレースタイルは、高い身体能力と独創的なテクニックを組み合わせたもので、見る人を飽きさせません。
特にネット際での繊細なラケットワークや、不意を突くようなトリッキーなショットは、他国の選手には真似できない芸術性を持っています。これは幼少期から遊びの中で感覚を養ってきた成果だと言われています。
パワーに頼るだけでなく、相手の裏をかく知性的な戦い方は、バドミントンをより深いスポーツへと昇華させています。このスタイルこそが、インドネシアのバドミントンが世界中でファンを持つ理由の一つです。
ダブルス種目における絶対的な強さ
インドネシアは特にダブルス種目において世界最強と言われることが多く、常に世界ランキングの上位を占めています。ペア同士の息の合ったコンビネーションと、前衛での素早い動きは圧巻です。
ケビン・サンジャヤ・スカムルジョ選手とマルクス・フェルナルディ・ギデオン選手のペアは、そのスピードと創造性で一時代を築きました。彼らのプレーは「ミニオンズ」という愛称で親しまれ、世界中のファンを熱狂させました。
ダブルスの強化に重点を置く育成方針が功を奏し、次から次へと新しい強力なペアが現れます。この層の厚さこそが、インドネシアが常に世界のトップに君臨し続けるための盤石な土台となっているのです。
生活の中に溶け込んだバドミントン文化

インドネシアにおいて、バドミントンは競技場の中だけのスポーツではありません。人々の日常生活の一部として、非常に身近な場所に存在しています。
住宅地「カンプン」に根付くコート文化
インドネシアの伝統的な住宅地である「カンプン」に行くと、路地のあちこちにバドミントンのコートが描かれているのを目にします。本格的な体育館でなくても、舗装された平らな場所があればどこでもコートになります。
夕方になると、近所の人たちが集まり、簡易的なネットを張って試合が始まります。高価なシューズを履いていなくても、裸足やサンダルでプレーする姿も珍しくありません。
このように、子供の頃から生活圏内にコートがある環境が、自然とバドミントンに触れる機会を増やしています。彼らにとってバドミントンは、呼吸をするのと同じくらい自然な行為なのです。
誰でも手軽に始められる国民的娯楽
バドミントンがここまで普及した大きな要因は、その手軽さにあります。サッカーのような広いスペースも必要なく、バスケットボールのような高いゴールも必要ありません。
安価なラケットとシャトルさえあれば、誰でもすぐに楽しむことができます。経済的な負担が比較的少ないため、所得層に関わらず多くの国民が参加できるスポーツとしての地位を確立しました。
また、雨季のあるインドネシアでは、屋内でも楽しめるスポーツとして非常に重宝されています。コミュニティセンターやガレージなど、屋根のある場所ならどこでもプレーが可能です。
世代を超えた交流を生むコミュニティの場
バドミントンは、子供からお年寄りまでが一緒に楽しめるスポーツです。地域のコートでは、若者が年配者に教わったり、家族全員でダブルスを楽しんだりする光景が日常的に見られます。
夜になると、照明の下で大人たちが集まり、仕事終わりのリフレッシュとしてバドミントンに興じます。スポーツを通じた交流が、地域の絆を深める重要な役割を果たしているのです。
こうしたコミュニティの温かさが、バドミントンという競技への愛着をさらに深めています。インドネシア人にとって、バドミントンは「勝負」であると同時に、「人との繋がり」を感じる大切な時間でもあります。
道具がない場所でも楽しむための工夫
インドネシアの人々のバドミントンに対する情熱は、道具の有無に左右されません。ラケットが買えない子供たちは、木の板を削って手作りのラケットを作ることさえあります。
また、シャトルの代わりに羽を束ねた自家製の道具を使うなど、遊びの中での創意工夫が随所に見られます。どんな環境であっても「バドミントンを楽しみたい」という強い気持ちが根底にあります。
こうしたハングリー精神や工夫する姿勢が、将来的にプロを目指す際の粘り強さや独創的なプレーに繋がっているのかもしれません。形にとらわれない自由な楽しみ方が、インドネシアのバドミントンの強さを支えています。
才能を育てる独自の育成システムと教育環境

インドネシアが長年にわたって強豪国の地位を維持できているのは、偶然ではありません。そこには、才能ある若者を見逃さない組織的な育成システムが存在します。
有名企業が運営する最高峰のクラブチーム
インドネシアには、世界的に有名なバドミントンクラブがいくつか存在します。その代表格が、タバコメーカーのジャルム社が支援する「PBジャルム(PB Djarum)」です。
これらのクラブは、単なる練習場ではなく、寮や学校を完備したエリート養成所としての機能を持っています。選ばれた才能は、衣食住のすべてをサポートされながら、バドミントン漬けの毎日を送ることができます。
企業の多大な資金援助により、質の高いコーチ陣や最新のトレーニング機器が整えられています。このような民間主導の強力なバックアップ体制は、他国にはないインドネシア独自の強みと言えます。
全国から逸材を掘り起こす「オーディション」
PBジャルムをはじめとする大手クラブは、毎年大規模な奨学生選抜オーディションを開催します。全国各地から何千人もの子供たちが、夢を求めて参加します。
このオーディションは、厳しい選考基準をクリアした子供だけが残れる狭き門です。選ばれれば、将来のスター候補として道が開けるため、親たちも熱心に子供をサポートします。
国中の至るところから才能を探し出すこの仕組みにより、埋もれてしまうはずの逸材が着実に拾い上げられます。競争の激しさが、常に世界トップレベルの質を保つ要因となっています。
インドネシアのトップ選手の多くが、こうした名門クラブの出身です。クラブ同士のライバル関係も激しく、それが競技全体のレベルアップに繋がっています。
幼少期から徹底される専門的なエリート教育
インドネシアでプロを目指す子供たちは、10歳前後、あるいはそれ以前から本格的なトレーニングを開始します。遊びとしてのバドミントンから、一気に専門的な世界へと足を踏み入れるのです。
技術面だけでなく、身体作りや栄養管理、さらにはメンタル面の教育も徹底されます。若い時期から「勝つための習慣」を身につけさせることで、精神的にタフな選手が育ちます。
また、代表チームに選ばれると、ジャカルタにあるナショナルセンターでさらに高度な指導を受けます。ここでは世界ランク1位を経験した元選手たちがコーチを務め、その経験と技術を直接伝承しています。
憧れのスター選手が身近にいる環境
インドネシアでは、現役のトップ選手や引退したレジェンドたちが、ジュニア選手の練習場に頻繁に顔を出します。世界チャンピオンを間近で見られる環境は、子供たちにとって最大の刺激となります。
「自分もいつかあのコートに立ちたい」という具体的な目標がすぐそばにあるため、練習へのモチベーションが非常に高く維持されます。スター選手との交流を通じて、勝者のマインドセットが自然と受け継がれていきます。
単に技術を教えるだけでなく、国の威信をかけて戦う姿勢を背中で見せる文化。この伝統の継承こそが、インドネシアがバドミントン大国であり続けるための最も重要な要素かもしれません。
熱狂的なサポーターと唯一無二の大会雰囲気

インドネシアのバドミントンを語る上で欠かせないのが、世界一熱狂的と言われるファン、通称「サポーター」の存在です。彼らが作り出す独特の雰囲気は、選手たちにとっても特別なものです。
「イア・イア・オー」の大合唱と応援コール
インドネシアで開催される大会、特にインドネシア・オープンでの応援は圧巻です。観客席からは「イア!イア!」という独特のリズムの掛け声が鳴り響き、会場全体が揺れるほどの熱気に包まれます。
このリズムは選手がシャトルを打つ瞬間に合わせて発生し、相手選手にとっては大きなプレッシャーとなります。一方で、自国の選手にとってはこれ以上ない力強い後押しとなります。
太鼓を叩き、歌を歌い、色鮮やかなコスチュームで応援するファンの姿は、まるでカーニバルのようです。この熱狂的な応援を浴びてプレーすることは、世界中の選手にとって憧れであり、畏怖の対象でもあります。
SNSを通じて深まる選手とファンの絆
インドネシアのバドミントンファンは、SNS上でも非常にアクティブです。トップ選手のフォロワー数は数百万人規模に達し、その人気は映画スターやアイドルのそれと変わりません。
試合結果に対するコメントだけでなく、選手の誕生日を祝ったり、プライベートの投稿に熱心に反応したりします。選手もまた、ファンへの感謝をSNSで頻繁に発信し、双方向の強い信頼関係が築かれています。
ファンが選手を身近に感じることで、応援の熱量はさらに高まります。このような密接な関係が、バドミントンという競技をインドネシアで最もホットなトピックにし続けています。
インドネシアのサポーターの特徴:
・相手チームの素晴らしいプレーにも拍手を送るリスペクト精神
・負けている時こそ大きな声援を送る粘り強いサポート
・バドミントンの知識が非常に豊富で、戦術的なプレーに敏感
敗北しても変わらない選手へのリスペクト
インドネシアのファンは、時に厳しい批判をすることもありますが、その根底には選手に対する深いリスペクトがあります。たとえ負けたとしても、全力を尽くした選手には温かい拍手が送られます。
バドミントンが国民の誇りであるからこそ、選手たちは負けた時の申し訳なさを口にし、ファンはそれを包み込むような姿勢を見せます。この深い愛情が、選手たちが再び立ち上がるための支えになります。
国民がスポーツをこれほどまでに理解し、愛している環境は、選手にとって非常に幸せなものです。サポーターの存在そのものが、インドネシアのバドミントン文化を豊かに彩っています。
世界一の舞台「イストラ・セナヤン」の魔法
ジャカルタにあるスポーツアリーナ「イストラ・セナヤン」は、バドミントンの聖地と呼ばれています。この会場でプレーすることは、すべてのバドミントンプレーヤーにとって特別な意味を持ちます。
会場の構造上、ファンの声援が反響しやすく、地鳴りのような轟音が響き渡ります。この「魔法の空間」で勝利を掴むことは、最高の栄誉とされています。
インドネシアのサポーターが作り出すこの非日常的な空間こそが、バドミントンというスポーツの魅力を最大限に引き出しています。一度でもその熱狂を体験すれば、なぜバドミントンが国技なのかを肌で感じることができるはずです。
インドネシアのバドミントンがなぜ国技なのかその理由のまとめ
インドネシアにおいてバドミントンが国技とされる理由は、単に競技として強いからだけではありません。オランダからの独立後、国の威信をかけて戦う中で築き上げた歴史的な誇りがその根底にあります。
さらに、日常生活のあらゆる場所にコートがあり、子供から大人までが気軽に楽しめる生活に密着した文化が、競技の裾野を広げています。誰でもすぐに始められる手軽さが、国民的な普及を支える土台となりました。
また、企業や協会が一体となった盤石な育成システムにより、才能ある若者が次々と世界へと羽ばたく環境が整っています。スター選手が常に身近に存在し、憧れの連鎖が止まることはありません。
そして何より、世界一熱狂的と言われるファンの情熱が、選手たちを鼓舞し、競技を最高潮に盛り上げています。国民の期待を背負って戦う選手と、それを全力で支えるサポーターの関係性は、まさに国技と呼ぶにふさわしいものです。
このように、歴史、文化、システム、そして人々の情熱が重なり合うことで、インドネシアのバドミントンは唯一無二の輝きを放ち続けています。これからも、彼らのプレーは世界中のバドミントンファンを魅了し、インドネシアの誇りとして受け継がれていくことでしょう。



